猩猩の夢

歌人・枡野浩一氏の「かんたん短歌blog」の投稿用として主に使用しています。 あらゆる表現について考えるblogです。

ここにいる愛が鼓膜をゆらすから目を閉じることは恐れなかった(槇野 てる)


………


上の雑記に関連してつくった短歌でした。
最近ちゃんと紙に縦書きで書いて推敲するようにしてみています。
なんかちょっと違う気がする。
枡野さんが、点字の短歌絵本を作ってくれないかなあと思ってる。
ああ、べたすぎる意見にひかれそうだけど……
別に周囲に視力の弱い人がいるというわけではなくて、ただふと「自分が例え目を失っても、短歌に出会った今は生きていけるかも」と思ったもので。

点字の詩や短歌の本って目新しいものではないし(百人一首とか結構ありますね)読み手を想定し過ぎてる分、偏った意味を持ち過ぎて枡野さんのやりたいことではないと思うのだけど。


私はずっと目で見てなんやかんやとものを造ることを続けていて、だから目をうしなうことをずっとずっと恐れていた。何も造りだせなくなったら生きていけないと思ってた。
なのにコンタクトつけたまま徹夜するし寝てしまうし……いつか失明するんじゃないかと。そんなことを漠然と猛烈に考えたのは、うちの犬が年で白内障になりかかっていて、その白味がかってる目を今朝見たからかもしれません。

短歌にとって、その見た目の文字のバランスとかも要素のひとつだとは思うけど、私は覚えた短歌を頭のなかで反芻している時が結構好きなんです。(辰巳さんの朗読、聞きたかったな……)
だから必ずしも、文字でなくてもいいのかも知れない、と、思ったんです。

それに、紙に浮き上がる点字のフォルムが結構好きかも。視覚的に。
けど点字の横にはいつもだいたい文字が添えられていて、だからなんとなく、文字が正しいもので、点字がただ「異種」なものに見えてしまって残念だ。
意味的には並列なのだけど、その機能はまったく違うのだから、必ずしもそこに並列に並べるべきものでもないと思う。いや、街中で必要な点字にはやはり文字が添えられていないと困るんだけど……
短歌ほどの長さが、点字を一番きれいに見せるかもしれないとも思ってて。視力のある人にも「見せられる」ものなんかなって、思ってるんですよね。
点字には「触覚」もあるし、なにか新しい可能性を秘めてるかもしれない。

ただの「文字の変わり」としてではない点字の提案は、短歌や詩っていう「情報ではない言葉」の分野でしかできないと、これは確信する。
WEBアクシビリティとかじゃなくて、もっと別な可能性があるんじゃないかなあ。

ああ、また長くなってしまった。
こんなことを伝えたいと思うのは、枡野さんだけだ。
そのスタンスだからこそ、枡野さんの点字の短歌があったら、ごく狭い対象ではあっても、きっと救われる人が出てくると思う。

そしてこういうことを発信できる場、そして参加者のみなさんがおられる「かんたん短歌blog」は、やっぱりなくなってほしくないなあ……
汗かけば着けそうな山のてっぺんも以外と遠いし 恋をしている(槇野 てる)

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「愛」にならない。だめだ……
すごい、って思う短歌は、ほんとに手の届かない存在だなと感じてしまう。遠い……
枡野さんや他の色々な方が言うように、魅力的な短歌を作れるのは魅力的な人なんだろうと思う。だから短歌が評価されないと、けっこうがっくりくるのかな。

今回のお題「愛」は、愛に努力しているつもりで、努力しきれていない自分を見てるようでした。人柄や考え方が、ごまかしようがなく、出てる。
きついなあ……
腹のなか手をつっこんで取り出したい口には出せない血肉の言葉(槇野 てる)

……

なんか「かんたん短歌の作り方」を改めて読んで、泣きそうです。
なんだろう。自分の不甲斐無さに?ちょっと良く分からないけど。

でもすごく反省。全然推敲できてなかった。
愛をうたってるつもりで、全然愛がこもってなかったのかな。そんな気がします。

どうしてもフレーズが自分のなかでひっかかってたりしてる短歌をもう一度推敲していってみてます。夏休みの短歌復習。
したら、「愛」って言葉が入らなくなった。(ものもある)

……

返されたぶかぶかの指輪を数珠にして 南無阿弥陀仏と唱えたくなる


……

これからはもっと時間をかけて短歌を1首1首詠んでいきたい。
わたし自身現場に伺うことはできませんが、明日のトークショウの可能性を考えれば(そしてそこにほんの少しでも関れたことを考えれば)どんなことが起こるのかとても楽しみです。

愛が届けば良いなあ。
愛はあるどこかにあるはずなのにまた命絶たれるその時がくる(槇野 てる)


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戦争もつらいけど、人の都合で大量に殺処分されていく生き物がつらい。わたしの膝にのるこの猫も、一歩まちがえれば苦しいガス室で殺されていたのかと思うと、涙が出る。
でもなんかこういう言葉は偽善的な響きを持っていて、「毎日肉を食べてるくせに」というようなことを言う人が必ずいて、肉が大好きな私は反論できない。
けど、こんなに幸せそうに人を信頼して眠る猫を見ていると、殺されるために生きてきたかのような命が悔やまれてならない。

わたしがこの世でなんとも理解し難いと思うのは、生き物を虐待する人間の心境に次いで、畜産農家の人々の心境である。
「育てる」とは愛情を伴う行為だ。愛して育てる。なのに、そうして育てた動物を殺す為に売ってしまえるのはどうしてだろう。もちろんその畜産農家あってこそ私は大好きな肉を食べられているのだけれど、それは全く別の問題だ。
「命を育てる」という行為の意味がひどく揺らぐ気がして、わたしはとても不安になるのだ。
人間と動物では「育てる」感覚も違うという人は多いが、私は違いがないと感じている。牛でできることなら、人間でもできるのではないか。

命の危険性のない状態での愛と、命を脅かされる状況での愛は、全く別の質を持っていると思う。
愛は命を救うのだろうか。

……重くなっちゃった。真面目に考えようとすると暗くなるのは悪い癖だ。
「今買えばさらにこちらもプレゼント」特典よりも愛してほしい(槇野 てる)
笑いあう日々が愛だという君を 笑うことしかできない日々だ(槇野 てる)
探ってる愛し方さえ生意気で「これでいい」とか思うな二十歳(槇野 てる)
あの頃の愛は愛とは言えなくて 思い出しては微笑んでいる(槇野 てる)
かんたん短歌blogが今後も続くとは限らない……それはそうなのだろうと思う。
だってこのblogのスタイルは、ビジネスとしてはなかなかに負担が大きい。選者としての覚悟も常に問われる。
blogの存在はどちらかというと広報的意味あいが強いとは思うのだけど、それでもその広報としての効果と枡野さん自身の負担とを天秤にかけたときに、それがはたして釣り合うのかどうかはわからない。
枡野さんが実際短歌blogを続けるか否かで迷う理由がどこにあるのかは良く分からないけど、客観的に見ても「このblogを続けることはとても大変なことだろう」ということだけは、上記のような理由で良く分かる。つもりだ。

わたし自身はExciteブックをチェックしている中で枡野さんのインタビュー記事を読み、興味を持ってこのかんたん短歌blogに辿りつき、自分にもできるかもしれないという思いで短歌を詠みはじめた。
すごく泥臭いことを言うと、自分を表現したものを人に評価されるチャンスっていうのは、今なかなか無い。(逆に表現することを常に要求される場に属していると、疲れていることもあるとは思うけど)働いているとそれは余計に強くて、仕事のなかでのプレゼンになれば社会的地位とか、チームの名誉とかいろんなものも絡んで、純粋に自分を表現できなくなる。
この「短歌を投稿して、枡野さんに評価してもらう」っていう関わり方は、すごく素直な、というか、素朴な、というか、純粋な関わり方のようで(それは匿名性も手伝っての気楽さもあるのだと思うけど)なんだかとても「ハリのある生活」を手に入れたように思っていた。

けど、枡野さんがこのblogの継続を迷うからには、枡野さんにとって「かんたん短歌blogは必要だ」と思えるだけの何かが、かんたん短歌blogから消えかけているということなのだろうかと、考える。
少なくとも、なんらかのメリットが大きければ、多少苦しくても続けるはずだと思うから。
それがトラックバックだけでは届かない、枡野さんのモチベーションを上げるだけの投稿者の真摯な、熱いスタンスなのか。それとももっと、明確なメリットと呼べるようなものなのか、もっと別の何かなのか……

以前にも短歌に雑記をプラスして投稿した時に似たようなことを書いたけど、かんたん短歌blogに関わる投稿者のスタンスは、今後もっと変化していくことが要求されるかもしれない、とは思う。
「短歌を作るスタンスがこうあるべき」というのは無いはずなのだけど、枡野さんがビジネスの一環とは言え歌人としての覚悟の上にこのblogでの選と講評をしている以上、投稿者もそれなりの覚悟でそこに挑む姿勢を見せなければ、それはやはり選者のモチベーションを殺ぐのでは無いかと想像できる。

でもこれは押し付けられるものではないし「短歌に興味の無い人にも短歌を知ってもらおう」というかんたん短歌blogの主旨には矛盾するようにも思う。
何ごとにおいても、敷き居の高さはそれを知る為に必要とする労力の量に比例する。
しかしそもそも、かんたん短歌blogとは、短歌を詠む人を増やすことと、短歌を読む人を増やすことと、どちらを主として考えているのだろう?
まあ、どちらもなのだろうけど。短歌を詠みはじめれば、短歌を読みはじめる。はず。
けど、そこが案外うまくいっていないのかもしれない。

ごく個人的な感想としては、自分の短歌への判断力を高めるためにも、投稿者一人についての投稿数を制限するという方法はあるのではないかと思う。
多く詠むことは良いことのはずだけど、その判断をすべて選者に委ねていると、なんだか自分で良い短歌を見極める能力をなかなか高められない気がするのだ。
「良い短歌」の定義がそもそもそれほど定まったものではないようなので、そこは甚だ不安を拭えないままの作業となるはずだけど……


ああ、長く書いてしまった。
結局自分の気持ちは「思う」とか「考える」とかの語尾でごまかしながら書いている。勉強中の身なので、断定することが恐いから。
他の投稿者の方々はどのような思いで投稿をしてらっしゃるのだろうか。
そして、かんたん短歌blogの今後についてはどのように考えてらっしゃるのだろうか。
なんか私だけが的外れなことをいろいろ考えている可能性は大いにある。うん。あるある。

とりあえず、わたしにとって短歌の投稿は生活における「ハリ」だ。生きる希望だと言うと、言い過ぎだ。
けど無くなると、すごく困る。だから、なんとかして今後も続いてほしいと思っている。
どうしても東京まで行くことができないので、とりあえずblogでただ叫んでみることにした。
うずくまるわたしにふれる猫がおり愛はここにあったかと思う(槇野 てる)
模倣する 愛とはこういうものかしら?と慣れたふりして愛してみてる(槇野 てる)
大声で笑って君からの愛だけ口にしているこのからっぽさ(槇野 てる)


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自戒をこめて。

最近つくる短歌は決意表明っぽいものが多くなってます。
作品としては良くないなと思いつつ、今のわたしにとって必要な過程なのかとも思っています。
今やっとひとりで立っているための愛を君から受け取ったから(槇野 てる)
むきだしの愛をかばって「大丈夫」と繰り返すのはもうやめにする(槇野 てる)
助手席で大きくなっては遠ざかる蝉の鳴き声君を見る愛(槇野 てる)
愛だけに生きてるわけではないはずで マンガでも読み泣こうと思う(槇野 てる)


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33の反対の歌です。
愛だけで生きることも死ぬこともできる反面、愛だけでは生きることも死ぬこともできないと思い、そのジレンマがどうしようもない「女性」なのかと考えたりします。
首吊りの必要はない 愛だけで生きてるわたしは言葉ひとつで(槇野 てる)


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辰巳さんの言霊のお話を聞いて、言葉はほんとうに恐いと思う。
いくつものトラウマをくれた元彼もいれば、まっすぐ言葉を伝えてくれる友人もいて、わたしはもっと言葉を勉強しようと思います。
自分より劣ると確信する男を薦める君を憎んで愛す(槇野 てる)
愛ひとつ終えた途端にひらけてた 360度の光る視界(槇野 てる)
熱愛はさめると必ずラーメンのようにずるりとまくがおります(槇野 てる)
灼熱の世界と愛する君の待つ席を隔てる あと数センチ(槇野 てる)



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「あと数センチ」がガラスの厚みだというのは説明不足で伝わらないかもしれません……
身軽だと思ってた体に詰まった責任や愛に気付く休日(槇野 てる)



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どうしても青山BCのライブに行けません……遠いです、東京。
大阪に住んでた頃は飛行機でスパッと行けてたのに。しかも土曜は仕事。
自由なようで、案外身動きがとれない。というか、綱の長さ分しか動けないという感じでしょうか。
この綱の長さをのばすのは、経済力や地位よりも、きっと熱意と気合いなんだろうな。
衛星の周回軌道で愛してた君へ少し手をのばしてみてる(槇野 てる)
愛されていますか今日も ピルという薬をしらない無邪気な君も(槇野 てる)
必要な電話も着信拒否にして君からの愛専用機です(槇野 てる)
まだ君の名前をきくと上手には笑えなくなる あの日の愛で(槇野 てる)
ふくらんだ胸は心臓まもるため 出る下腹は愛まもるため(槇野 てる)



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ほんとに下腹微妙にだけとれない……子宮を守るためと思い込みたい。
あのころの愛を思い出した時にふしぎなくらい笑顔になれた(槇野 てる)
まだ君の名前をきくと上手には笑えなくなる愛が邪魔です(槇野 てる)
きっかけは至るところにあったけど育てるだけの愛がなかった(槇野 てる)
虫取り網もってバイクにまたがって愛を探した今日 熱帯夜(槇野 てる)
冬生まれの愛はずいぶん脆そうで 半袖を着る君に会いたい(槇野 てる)



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雨の改作続行中です。季節外れです。
唇ではなくて首からはじまったキスの下降しはじめてる愛(槇野 てる)
本物だ 信じて誇った偽物のプラチナも君が示した愛も(槇野 てる)



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しっくりこず……安っぽい比喩だと思いながらうまく改作できません。
偽物と気付かず誇ったブランドも愛も知るまで本物だった(槇野 てる)
鮮やかな入れ墨を彫る感触で 傷つけることを愛だと思う(槇野 てる)
傷つけて「愛だ」と言った 鮮やかな入れ墨を彫るような気持ちで(槇野 てる)
一瞬の獣のような動き もう愛は服従させられていた(槇野 てる)
我慢することが愛だと思わない だから愛してなんて言わない(槇野 てる)
一行のメールに込めるの惜しむほどあなたの愛は高級なのね(槇野 てる)
うなずいた拍子に愛がぽたぽたと流れ出ていく これでさよなら(槇野 てる)
そのままで動かないでと頭撫で これが一番愛せる角度(槇野 てる)
決着を長引かせてるこの愛をゴールテープでがんじがらめに(槇野 てる)
この変な形をしたものが愛だとすればけっこう実感がわく(槇野 てる)
誰からも愛されていてまぶしくて あなたの影でしおれるしかない(槇野 てる)
愛人は愛してるひとのことなんだと思って過ごした幼少時代(槇野 てる)
好きな子を「愛人」と呼び得意げな 子供の愛は間違ってない(槇野 てる)
指いっぽん動かすためにも気合い入れカレーを作る はじめての愛(槇野 てる)