猩猩の夢

歌人・枡野浩一氏の「かんたん短歌blog」の投稿用として主に使用しています。 あらゆる表現について考えるblogです。

ここにいる愛が鼓膜をゆらすから目を閉じることは恐れなかった(槇野 てる)


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上の雑記に関連してつくった短歌でした。
最近ちゃんと紙に縦書きで書いて推敲するようにしてみています。
なんかちょっと違う気がする。
わたし自身現場に伺うことはできませんが、明日のトークショウの可能性を考えれば(そしてそこにほんの少しでも関れたことを考えれば)どんなことが起こるのかとても楽しみです。

愛が届けば良いなあ。
愛はあるどこかにあるはずなのにまた命絶たれるその時がくる(槇野 てる)


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戦争もつらいけど、人の都合で大量に殺処分されていく生き物がつらい。わたしの膝にのるこの猫も、一歩まちがえれば苦しいガス室で殺されていたのかと思うと、涙が出る。
でもなんかこういう言葉は偽善的な響きを持っていて、「毎日肉を食べてるくせに」というようなことを言う人が必ずいて、肉が大好きな私は反論できない。
けど、こんなに幸せそうに人を信頼して眠る猫を見ていると、殺されるために生きてきたかのような命が悔やまれてならない。

わたしがこの世でなんとも理解し難いと思うのは、生き物を虐待する人間の心境に次いで、畜産農家の人々の心境である。
「育てる」とは愛情を伴う行為だ。愛して育てる。なのに、そうして育てた動物を殺す為に売ってしまえるのはどうしてだろう。もちろんその畜産農家あってこそ私は大好きな肉を食べられているのだけれど、それは全く別の問題だ。
「命を育てる」という行為の意味がひどく揺らぐ気がして、わたしはとても不安になるのだ。
人間と動物では「育てる」感覚も違うという人は多いが、私は違いがないと感じている。牛でできることなら、人間でもできるのではないか。

命の危険性のない状態での愛と、命を脅かされる状況での愛は、全く別の質を持っていると思う。
愛は命を救うのだろうか。

……重くなっちゃった。真面目に考えようとすると暗くなるのは悪い癖だ。
「今買えばさらにこちらもプレゼント」特典よりも愛してほしい(槇野 てる)
笑いあう日々が愛だという君を 笑うことしかできない日々だ(槇野 てる)
探ってる愛し方さえ生意気で「これでいい」とか思うな二十歳(槇野 てる)
あの頃の愛は愛とは言えなくて 思い出しては微笑んでいる(槇野 てる)
うずくまるわたしにふれる猫がおり愛はここにあったかと思う(槇野 てる)
模倣する 愛とはこういうものかしら?と慣れたふりして愛してみてる(槇野 てる)
大声で笑って君からの愛だけ口にしているこのからっぽさ(槇野 てる)


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自戒をこめて。

最近つくる短歌は決意表明っぽいものが多くなってます。
作品としては良くないなと思いつつ、今のわたしにとって必要な過程なのかとも思っています。