猩猩の夢

歌人・枡野浩一氏の「かんたん短歌blog」の投稿用として主に使用しています。 あらゆる表現について考えるblogです。

おみくじをひきつづけてれば本当のわたしが出るなら何度でもやる(槇野 てる)


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おみくじひくとき結構必死。
前に友達と四国の金比羅でひいたおみくじは小吉。
「待人」欄に注目すると “待人は、来ても遅し” と書いてあった。

来るかどうかもわからんし、例え来てももう遅いという……

「来んでいいわ」

思わず言って、みんなに爆笑された。
「あそこまで」いける だったらもうひとつ先の風景まできっといく(槇野 てる)

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枡野浩一セット届きました!
友人にみせびらかしつつ、短歌を普及しています。

でもやっぱり、短歌を読むことに興味を持つ人と、詠むことに興味を持つ人はきっぱりわかれやすいことが判明。
でもどちらにしても、興味をもつ人が案外多いことも判明。鼻で笑う人も多いのだけど。

そういえば、わたしの好きな作家である中上健次(青臭い趣味です)はビジネスにならないから短歌や詩をやらなかったらしい。
けど、これからはもっと、伝達のためのツールとして短歌は普及すると思う。
手紙より、もっと身近に言葉で気持ちを伝えるメールが普及したのは、短歌熱のための布石になったはず。もっと盛り上がれーっ
汗かけば着けそうな山のてっぺんも以外と遠いし 恋をしている(槇野 てる)

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「愛」にならない。だめだ……
すごい、って思う短歌は、ほんとに手の届かない存在だなと感じてしまう。遠い……
枡野さんや他の色々な方が言うように、魅力的な短歌を作れるのは魅力的な人なんだろうと思う。だから短歌が評価されないと、けっこうがっくりくるのかな。

今回のお題「愛」は、愛に努力しているつもりで、努力しきれていない自分を見てるようでした。人柄や考え方が、ごまかしようがなく、出てる。
きついなあ……
腹のなか手をつっこんで取り出したい口には出せない血肉の言葉(槇野 てる)

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なんか「かんたん短歌の作り方」を改めて読んで、泣きそうです。
なんだろう。自分の不甲斐無さに?ちょっと良く分からないけど。

でもすごく反省。全然推敲できてなかった。
愛をうたってるつもりで、全然愛がこもってなかったのかな。そんな気がします。

どうしてもフレーズが自分のなかでひっかかってたりしてる短歌をもう一度推敲していってみてます。夏休みの短歌復習。
したら、「愛」って言葉が入らなくなった。(ものもある)

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返されたぶかぶかの指輪を数珠にして 南無阿弥陀仏と唱えたくなる


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これからはもっと時間をかけて短歌を1首1首詠んでいきたい。
かんたん短歌blogが今後も続くとは限らない……それはそうなのだろうと思う。
だってこのblogのスタイルは、ビジネスとしてはなかなかに負担が大きい。選者としての覚悟も常に問われる。
blogの存在はどちらかというと広報的意味あいが強いとは思うのだけど、それでもその広報としての効果と枡野さん自身の負担とを天秤にかけたときに、それがはたして釣り合うのかどうかはわからない。
枡野さんが実際短歌blogを続けるか否かで迷う理由がどこにあるのかは良く分からないけど、客観的に見ても「このblogを続けることはとても大変なことだろう」ということだけは、上記のような理由で良く分かる。つもりだ。

わたし自身はExciteブックをチェックしている中で枡野さんのインタビュー記事を読み、興味を持ってこのかんたん短歌blogに辿りつき、自分にもできるかもしれないという思いで短歌を詠みはじめた。
すごく泥臭いことを言うと、自分を表現したものを人に評価されるチャンスっていうのは、今なかなか無い。(逆に表現することを常に要求される場に属していると、疲れていることもあるとは思うけど)働いているとそれは余計に強くて、仕事のなかでのプレゼンになれば社会的地位とか、チームの名誉とかいろんなものも絡んで、純粋に自分を表現できなくなる。
この「短歌を投稿して、枡野さんに評価してもらう」っていう関わり方は、すごく素直な、というか、素朴な、というか、純粋な関わり方のようで(それは匿名性も手伝っての気楽さもあるのだと思うけど)なんだかとても「ハリのある生活」を手に入れたように思っていた。

けど、枡野さんがこのblogの継続を迷うからには、枡野さんにとって「かんたん短歌blogは必要だ」と思えるだけの何かが、かんたん短歌blogから消えかけているということなのだろうかと、考える。
少なくとも、なんらかのメリットが大きければ、多少苦しくても続けるはずだと思うから。
それがトラックバックだけでは届かない、枡野さんのモチベーションを上げるだけの投稿者の真摯な、熱いスタンスなのか。それとももっと、明確なメリットと呼べるようなものなのか、もっと別の何かなのか……

以前にも短歌に雑記をプラスして投稿した時に似たようなことを書いたけど、かんたん短歌blogに関わる投稿者のスタンスは、今後もっと変化していくことが要求されるかもしれない、とは思う。
「短歌を作るスタンスがこうあるべき」というのは無いはずなのだけど、枡野さんがビジネスの一環とは言え歌人としての覚悟の上にこのblogでの選と講評をしている以上、投稿者もそれなりの覚悟でそこに挑む姿勢を見せなければ、それはやはり選者のモチベーションを殺ぐのでは無いかと想像できる。

でもこれは押し付けられるものではないし「短歌に興味の無い人にも短歌を知ってもらおう」というかんたん短歌blogの主旨には矛盾するようにも思う。
何ごとにおいても、敷き居の高さはそれを知る為に必要とする労力の量に比例する。
しかしそもそも、かんたん短歌blogとは、短歌を詠む人を増やすことと、短歌を読む人を増やすことと、どちらを主として考えているのだろう?
まあ、どちらもなのだろうけど。短歌を詠みはじめれば、短歌を読みはじめる。はず。
けど、そこが案外うまくいっていないのかもしれない。

ごく個人的な感想としては、自分の短歌への判断力を高めるためにも、投稿者一人についての投稿数を制限するという方法はあるのではないかと思う。
多く詠むことは良いことのはずだけど、その判断をすべて選者に委ねていると、なんだか自分で良い短歌を見極める能力をなかなか高められない気がするのだ。
「良い短歌」の定義がそもそもそれほど定まったものではないようなので、そこは甚だ不安を拭えないままの作業となるはずだけど……


ああ、長く書いてしまった。
結局自分の気持ちは「思う」とか「考える」とかの語尾でごまかしながら書いている。勉強中の身なので、断定することが恐いから。
他の投稿者の方々はどのような思いで投稿をしてらっしゃるのだろうか。
そして、かんたん短歌blogの今後についてはどのように考えてらっしゃるのだろうか。
なんか私だけが的外れなことをいろいろ考えている可能性は大いにある。うん。あるある。

とりあえず、わたしにとって短歌の投稿は生活における「ハリ」だ。生きる希望だと言うと、言い過ぎだ。
けど無くなると、すごく困る。だから、なんとかして今後も続いてほしいと思っている。
どうしても東京まで行くことができないので、とりあえずblogでただ叫んでみることにした。
捨てた宝くじは当たりに変わらない 今さら好きとか言わないでほしい


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うまく伝わらない気がしたので、改作しました。


ハズレてた宝くじならハズレです 今さら好きとか言わないでほしい
青空の熱気のなかでそばにいた 日焼けの跡が君と重なる


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↑(7/26改作)


夏の日の暑さの中でそばにいた 日焼けの跡が君と重なる

青空の暑さの中でそばにいた 日焼けの跡が君と重なる
虫取り網をもってバイクにまたがった 恋に恋する乙女の儀式


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虫取り網をもってバイクにまたがった あの夏よりもでかい何かを
爪先のぎりぎりで踏むブレーキがはずれないよう笑っています